降り続いてます

昨日は、快晴だったのに、夕べ遅くから降り続いています\(-o-)/


今朝は、あぷり前も圧雪車が入って、コース整備をしていました(*^。^*)

そろそろ、前面オープンになりそうですね〜\(^o^)/


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今年も残り少なくなってきましたね(*^。^*)

秋に、30年ぶりの同窓会があったのですが、懐かしい校舎や友達に会って、自分を見つめなおす機会になりました(^_-)-☆

アルバムと一緒に、文集が出てきたので、目を通していると、31年前の自分に出会いました(*^。^*)


    おやじの思い出

「日本では、黒潮は、薩摩の海岸をあらい、土佐を流れ、熊野海岸をはしり、やがて沖へ去ってゆくという。

この経路の三地帯における気質の共通性は、剽悍で、進取の気性に富み、新しものずきであり、なによりも

革命に縁があるのである。」

おやじの故郷は、薩摩半島の最南端。黒潮の流れる小さな村である。私の故郷は、その同じ黒潮が通るという

熊野。三年前、クラブ合宿で、初めて、おやじの故郷、久志に訪づれた時、ふと、私の故郷を思い出したのは

まさしく、この黒潮のせいではなかろうかと思うのである。もしも、遠祖が、同じ民族であったとするならば

きっとおやじと私の祖先も同民族であったにちがいない。そう思いはじめると、私が、玉川の丘を訪づれ、そ

して、おやじの門をたたいたことも、宿命的な何かに、ひきよせられたのではないかという気がしてならない

のである。おやじの、あの迫力は、岩をも打ち砕く、黒潮の荒波であり、あの遠い彼方をみつめていた目は、

はてしなく広がる宇宙であり、学問を、どこまでも窮めようとした、あの姿勢は、そこ知れぬ海の深さであろ

うと思う。紙を買うお金がなかったので、砂浜に字を練習したという、幼い日のおやじを想像すると自由奔放

な、その性格を形成した自然の偉大さを物語ってくれるように思えるのである。

私も田舎育ちである。現在でも、海岸沿いの小高い山には、山猿が棲息し、みかん畑を荒らす。また、少し

奥に入った地域では、猪が山を掘り起こすという。考えてみれば、実にのどかな地方である。しかし、この

雄大な自然に育まれてきたことを、私は、何よりも誇りに思っている。おやじとの、めぐり逢いがこの故郷

に感謝する気持ちを、私にうえつけたのであろうか。

 おやじが、話される講義の内容に、一貫して流れていたものは、宗教であり、この世の中の、すべてに対

して感謝することであった。たとえ、それが、自分にとって苦しい立場であっても、この自分を鍛えて下さる

ありがたい体験だというように、たえず、感謝の気持ちを忘れなかった。以前の私にとって、宗教心という

ものは、遠い存在であった。しかし、この三年間に、多少なりとも、宗教に対する理解というものが、私の中

に、めばえてきたようである。どうしょうもない自分の弱さに直面した時、人間は、不安と、焦燥にかられ、

何かの力にすがりたいと思う。そこに、宗教が生まれるのは、何も不思議ではない。むしろ、当然のことのよう

に思えるのである。

 総長面接以来、直接、話をしたこともなく、ただ、たまになさる講義を垣間見ては、教育者というよりも、

一人の人間として、私は、おやじというものにふれてきた。本当の教育は、午前八時前と、午後四時以降に

おこなわれるものだ、とおっしゃった、あの強い口調を、忘れることはできない。しかし、それは、決して

教育愛とかいう甘い感傷ではないことを、私は承知している。

 言葉では、いい表すことのできないほど大きな何かを、数多く、私の心の中に刻みつけてくれたおやじ。

これからの私にとって、かけがえのない師匠であって、その門下を名乗る以上、おやじのはてしない夢と

いうものを、うけついでいけるだけの弟子になりたいものである。永遠の時の中で私が生きる時間は、ほんの

些細である。与えられた、この時間を、いかに生きるかが、私の残された課題であるのだ。




  31年前の12月にご逝去された小原先生(おやじ)のお姿を偲び。。。合掌